トランペット奏者
松井 秀太郎 さん
演奏家として音楽に関わる気持ちに、ジャンルは関係ない
国立音楽大学在学中からプロとして数々の演奏活動を行ってきた松井さん。ジャズやクラシックという垣根を超えて活躍する新進気鋭のトランペッターとして、いま注目を集めています。大学時代の経験や、音楽と向かい合う姿勢について伺いました。
プロフィール
松井 秀太郎 さん
MATSUI Shutaro
Profile:9歳でトランペットを始め、国立音楽大学附属高等学校でクラシックを学ぶ。2022年、国立音楽大学音楽学部演奏・創作学科ジャズ専修を首席で卒業。在学中から自身のコンサートの開催や、ブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラへの参加など、本格的に演奏活動を始める。2023年7月デビューアルバム『STEPS OF THE BLUE』、2024年10月にニューヨーク録音の2ndアルバム『DANSE MACABRE』をリリース。
「すごい人たちと一緒に演奏できる」ジャズ専修へ
──松井さんの音楽との出会いは?
幼稚園に入る前、家にあった小さいキーボードを弾いて遊んでいたのを親が見て、大きめのキーボードを買ってくれたんです。それからはずっとそればかり弾いていました。小学校で金管バンドに入って、初めてトランペットに出会いました。中学校で吹奏楽部に入ったことがきっかけで、プロを目指したいなと思うようになって、高校は音高(国立音楽大学附属高等学校)に進学しました。
──音高からくにおんに進学する際、ジャズ専修を選んだのはなぜですか?
もともと、ジャズプレーヤーを目指していたわけではなく、それどころかジャズについて、専門的な知識はまったくありませんでした。ただ、トランペットを演奏して生きていきたいという思いが強かったです。
ジャズ専修に進もうと決めたのは高校3年の夏。それまでは、他大学や留学も考えていました。でもくにおんのジャズ専修の先生は、すごい方ばかりで。この方たちと知り合いになれて、一緒に演奏したりできるんだなと思ったら、興味が抑えられませんでした。周りには反対されたんですけどね。音高ではクラシックで学校代表に選んでいただいたりもしていたので、このままクラシックの道で頑張るんだろうと周囲は思っていたのに、急にジャズをやると言い出したので…。でもポップスをやりたい気持ちもあり、クラシックの勉強もできるし、とにかく挑戦してみよう、合わなかったらもう海外に行こう、と思っていました。思ったことは一回はやってみないと気が済まない性格なんです。
クラシック出身が自分の強みになっている
──学生時代はどのように過ごしていましたか?
ジャズ専修は本当にいろいろな人がいて、ジャズをやってきた人だけでなく、エレクトーンや私のように吹奏楽から入ってきた人もいて、全員バラバラでした。大学に入って新しくクラシックの友達がたくさんできたのもうれしかったです。クラシックの学生たちが演奏する曲の編曲を引き受けたりもしました。
ジャズ専修でも「クラシック基礎実技」は必修科目で、選択科目のクラシックのピアノ(器楽表現[ピアノ])と声楽(声楽表現)もとっていましたね。
──クラシックを学んだことは今、役立っていますか?
もともと好きだからということもありますけど、すごく生きていますね。ジャンルにかかわらず演奏の技術や音楽において何を大切にしているかなど、いろいろな方の考えを知ることができたことが大きかったです。体の使い方においては声楽のレッスンで教えていただいたこともとても役立っています。
クラシックを学んできたことが、自分の強みになっているのではないでしょうか。
──ジャズの枠にとらわれずに幅広い活動をされていますね?
自分の中ではクラシックもジャズもそんなに境目がないんです。ジャズは自由だと思っていましたが、クラシックの方と一緒に演奏すると、クラシックでも同じだなと感じます。それぞれのスタイルはあるけど、演奏家として音楽に関わっていくという気持ちに、ジャンルはあまり関係ないなと思いますね。
それに、一つのジャンルに絞ってしまうと、見えてこないことも多いように感じます。例えば、ポップスの現場だと、多様な専門家がいて、一つの作品を何十人、何百人で作りあげるというその熱量にはものすごいものがあるし、長い期間ファンを惹きつける力、作品を作り続けていく方法みたいなものが、とても勉強になりますね。いろいろなジャンルのプロと関わるのは刺激になります。
絶対にプロになる、という気持ちで過ごした4年間
──プロを目指して、在学中にどんな努力をしていましたか?
受けていない授業を聴講させてもらったり、友達のレッスンに連れて行ってもらったりしていました。レッスンや授業には、この先生と同じステージに立ちたい!仕事をしたい!という気持ちで参加していました。
とにかく絶対にプロになる、4年間が終わったら自分の力で生きていかなければいけないという気持ちを強く持っていました。お金を稼ぎたいということではなく、プロとして活躍している方と一緒に演奏したい、第一線の人たちのクオリティで演奏したい、と考えていましたが、ジャズは大学に入学してからのスタートでしたし、在学中は結構必死でしたね。
──そのような積極性はどうしたら持てるのですか?
何でも挑戦してみないとわからない、というのが私の中にあるんです。結果が出ないことの方が多いかもしれませんが、挑戦したその先に新しいものが見えるのかなと思う。だから「迷ったら、やる!」。
仕事をしていく中で会った素晴らしいミュージシャンの方たちって、いい意味ですごくみんな変わっているというか、「こう思われたらどうしよう」とか「うまくいかなかったらどうしよう」と、ネガティブに考えないんですよね。それより、「これをやりたい」「こういうふうに演奏したい」という気持ちが勝るのでしょう。
ニューヨークで有名なプレイヤーと一緒にレコーディングをした時も、こんなに恵まれたメンバーで演奏できる機会はそうないので、やるしかない、そんな気持ちで臨みました。
──演奏やアルバム制作では、さまざまな人と一緒に活動されていますね?
音楽以外での人付き合いはあんまり得意ではないんですけど、音楽を作っている最中は対等ですし、そこがいいところですね。相手もそう思ってくれているはずなので、こっちが対等じゃなかったら失礼になります。相手が先輩だとして、自分がその先輩のことを立てて遠慮しちゃったりすると、向こうとしては「なぜ全力で来ないんだろう」と思うのではないでしょうか。その対等なパワーが、いい音楽を作ると思っています。
ミュージシャンとして対等に接してくださった先生方
──今振り返って、くにおんのジャズ専修のいいところはどんなところだと思いますか?
他の大学よりも学生数が少なくて、みんなが全員のことを知っているんです。1人の先生に対しての人数が少ないから、先生方との距離が近くて、1対1でお話しをしてもらえるというところがとてもよかったですね。例えば自分の授業以外でも「トランペット必要じゃないですか?」「あ、じゃ入ってみなよ」とか、そういうオープンな先生方ばかりでした。
何より、先生方がミュージシャンとして対等な態度でいてくださるんですよ。私は入学当初はジャズについては何もできなかったんですけど、いちミュージシャンとして接してくださっていました。プロであることをおごらず、一緒に演奏してくれるというのも、大きかったですね。
──国立音楽大学は創立100年を迎えますが、松井さんは100年先にどんな音楽が生きていてほしいと思いますか?
難しいですけど…自分の演奏を聴いて、トランペットを始めたり、トランペットの魅力に気づいてもらえたりしたその先に、その人たちが作る音楽があったらうれしいな、と思います。
