大村典子(ピアニスト)
ピアノ教育にメソッドを、ハートを/1989年4月
プロフィール
大村典子さん(おおむら のりこ)
OHMURA Noriko
ピアニスト
1971年に国立音楽大学大学院音楽学専攻を修了。
日本ピアノ教育連盟評議員。宮崎県立看護大学教授。
ヴィヴァルディ研究で国際的に評価される一方、1980年2月以来、1500回近くに及ぶ教育セミナーで活躍。
NHKテレビ「マイライフ~大村典子」や「徹子の部屋」に出演、プラス志向の生き方が反響を呼ぶ。
著書は「ヤル気を引き出すピアノのレッスン」(音楽之友社)、全国学校図書館協議会の選定図書になった自伝「お母さん、ノリコ平気よ!」(草思社)など多数。
「大村典子ファミリーピアノ連弾集」(音楽之友社)、「大村典子 大人のハートフル・ピアノ曲集」(ヤマハミュージックメディア)他の楽譜は60冊近くを数え、CD、ミュージック・データ、CD-ROMのソフト類も58点をリリース。
大学院を修了後、ヴィヴァルディの研究、ピアノ教育、教育講演を経て、1997年4月より看護教育に従事。
九州で最初の公立看護大学である宮崎県立看護大学の教授として、「人間研究」などの講義を担当する。
インタビュー
「まさにヴィヴァルディ、ヴィヴァルディ、ヴィヴァルディの毎日でしたね。あの頃はとにかくヴィヴァルディの研究に打ち込もう、私の一生をその研究に捧げようと考えていました。」
大学院当時の思い出をこのように語る大村典子さんは現在、ピアノ教育の分野で幅広く活躍中。大学院ではピアノならぬ音楽学を専攻し、ヴィヴァルディ研究に打ち込んできた大村さんが、ピアノ教育界に足を踏み入れたきっかけは、ある雑誌に執筆した連載記事でした。
他にもないんだ 私がピアノ教育に取り組もう
「その記事の依頼を受けたのは1978年のこと。ヴィヴァルディ生誕300周年記念論文集のための論文が完成した直後で、心身ともに落ち込んでいた時でした」
イタリアで刊行されたその論文集は世界各国のヴィヴァルディ研究者11人の論文を集めたもので、大村さんは非ヨーロッパ圏から唯1人選ばれたわけです。彼女にとっては最高の名誉であったはずなのですが……。
「論文が完成し、ヴィヴァルディ研究者としての目標は達成できた。でも、これから何を目標にしていけばいいのだろうという気持ちになってしまって……。ちょうどそんな時に、雑誌社からピアノのことについて自由に書いてほしいと依頼されたんです。私が研究活動の合間に行っていたピアノのレッスンや発表会が面白いという評判を聞いたらしいんですね。じゃあ私が普段から感じていることを書いてみようかしら、と軽い気持ちで引き受けました。」
大村さんは日頃のレッスンでの経験をもとに、練習嫌いの子供やヤル気のない子にどうピアノを教えればいいのか、といったことを書いたのですが、その記事は本人にも意外なほどの大きな反響を呼びました。
「それまで、私が書いたようなことを発表する人がいなかったんですね。そして2年後にはセミナーまで頼まれる羽目になりまして。毎回、本当にたくさんの人が集まってくださいました。」
長年ピアノを弾いてきたはずなのに、教え方がわからない――こうした切実な悩みをもった参加者と接していくうちに大村さんはこう決心しました。
「そうした悩みに答える人が他にいないのなら、私が率先してピアノ指導に対する問題に取り組んでみよう。」
この時、大村さんの心の中に新しい大きな目標が生まれたのです。
心から音楽を愛する人を育てる教育者が求められている
「以来、北海道から沖縄まで、日本全国の街でピアノセミナーを行ってきました。どこも大勢の方々が真剣な思いで聴講にいらっしゃり、立ち見の出る会場も……。
街でピアノを教えている先生たちを取り巻く状況は決して楽観視できるものではありません。趣味でピアノを習う子が増え、楽しいレッスンでなければついてこないようになっていますし、教える人は増え続けています。教え方がうまく、魅力のある先生にしか生徒がつかない時代になってきたといわれるほどです。」
「子供の才能や個性を見抜いて、その子に合ったレッスン法を探っていける力がピアノの先生には必要です。『演奏家になれなかったから』なんて気持ちで務まる仕事ではありません。それに気づいて教育法を勉強し直そうと考えていらっしゃる良心的な先生も多く、そうした方々が私のセミナーに熱心に参加されているわけです。私の役目は、その方々と一緒により有効な教育法を考えていくこと。そして一人でも多くの先生が素晴らしい音楽の世界への取り掛かりとしてピアノを紹介していけるよう、心から音楽を愛する人を育てていけるよう、手助けやアドバイスをすることと考えています。」
そのためにセミナーや講演会、公開レッスン、執筆活動、さらには彼女自身の生徒への個人レッスンなどに休む暇もない大村さん。このようなハードスケジュールをこなしていけるのは、大村さん自身が心から音楽を愛しているからに違いありません。