国立音楽大学

H ZETT M(ミュージシャン)

「常に曲を作りつづけなさい」
くにたちでの教えをいまも胸に
/2022年4月

プロフィール

H ZETT M さん
ミュージシャン

H ZETT M

1978年生まれ。国立音楽大学音楽学部作曲科(現演奏・創作学科作曲専修)卒業。PE’Zや東京事変(第一期)でピアニスト/キーボーディストとして活躍した後、ピアノトリオバンド H ZETTRIOとしての活動を活発化。2022年5月にアルバム「Kazemachizuki」をリリース。現在同アルバムを携えた全国ホールツアーを展開中。H ZETT Mソロとしては11月30日に渋谷区大和田 さくらホールでの公演が決定している。

インタビュー

“無重力奏法”と称される超絶的な演奏スキル、心を捉えて離さないメロディ、そしてユーモアに満ちた軽やかで自由なライブパフォーマンスで、プロアマ問わず熱烈な支持を集めるジャズトリオバンド、H ZETTRIO(エイチ・ゼットリオ)。青鼻の謎多きピアニスト、H ZETT M(エイチ・ゼット・エム)さんが本格的に作曲を学んだのは、くにたちの作曲科でした。

曲を「作る」面白さに夢中になって

H ZETT M

──ピアノを習い始めたのは幼稚園の頃だそうですね

 特に音楽一家というわけではなかったのですが、4歳の頃にピアノを習い始めて、いつの間にか弾くことが生活の一部になっていました。毎日2時間くらいはピアノの前にいたので、今日は家族で外食をしようという日は、「今日の分の練習はいつしようかな」と心配するような子でした。いわゆる一般的な練習曲集のほかに、近代の作曲家の曲やクラシック以外の曲なども弾いていた記憶があります。

──小学校の頃にはすでに作曲もされていたとか

 色々な年代やジャンルの曲を「弾く」「聴く」の延長線上に、「作る」があった感じですね。最初は、五線紙にただ落書きするみたいに音符を書いて遊んでいて、それが音になり、曲になっていくのがだんだんと面白くなってきて。作った曲は、ピアノの先生が細かい部分を直してくれたり、「こうするともっと良くなるよ」と教えてくれたりしました。レッスンでの作曲に加えて、発表会に向けた作曲もあったので、当時からいつも何かしらの曲を黙々と作っていましたね。曲が思い浮かばなくて困るということは全くなくて、思いついた時の楽しいという感覚ばかり覚えています。

──高校は、くにたち附属の音楽科に進学されました

 中学生の時、音楽の先生が勧めてくれた作曲のコンクールに出てみたんです。すると、中1で入賞6位、中2で銅賞。中3では当然金賞を取れると思ったら、銀賞だった。この時「自分には何かが足りないんだな」と思って、音楽を学ぶ学校に行こうと決めた気がします。
 高校受験の前に、高等学校音楽科の夏期音楽講習会と冬期音楽講習会に参加したのですが、くにたちの作曲科の先生の作る曲がすごくかっこ良くて惹かれました。こういう先生のもとで学んでみたいと思いましたし、著名な音楽家を輩出している学校という点も魅力でした。
 ちなみにこの時、自分の作った曲をくにたちの先生に見てもらったら「いいんだけど、君は和声が全然分かってないねぇ」と言われまして。難しいとかかっこいいという以前の問題だったことがショックというか、やっぱりもっとちゃんと勉強したいなと思いましたね。

作曲家の姿勢をたたき込まれた学生時代

H ZETT M

──くにたちの作曲科の授業はいかがでしたか

 大学では作曲科の(故)溝上日出夫先生に大変お世話になりました。溝上先生は「作曲家というのは、『クラリネットのいい曲、何かない?』『こういうシーンに合う曲ある?』などと聞かれたら、すぐパッと出せなきゃいけない」とおっしゃった。そして「君たち、遊んでいる暇があったら曲を作りなさい」と。自分としてはこれまでも結構頑張っていたつもりでしたし、少し遊びたい年頃でもありましたが、作曲家としてやっていくには全然足りないんだなと気合いが入りましたね。
 懸案だった和声の授業もありましたが、成績は中間くらいでしたかね。民族音楽や音響学、現代音楽の授業は面白かったです。ドイツ語なんかはほぼ忘れてしまいました(笑)。
 作曲科では1~4年の全学生が作った曲の中から何曲かが選ばれてホールで演奏されるという機会もあり、たしか2回ほど選ばれた記憶があります。現代音楽っぽいピアノ曲《虚》と、《トランペットとトロンボーンとパーカッションのために》とかいう曲だったかな。くにたちの授業は自分の作曲の世界を広げてくれましたね。

──授業以外で、思い出深いのはどんなことでしょう

 空いている時間は大学の図書館にしょっちゅう行っていました。アナログレコードも含めて音源が豊富にあったので、自分では持っていなかった70年代のファンクとかソウルをよく聴いていました。あと、映画雑誌なんかも一通りチェックしていました。北野武さんのインタビューを読んで、自分なりに解釈して刺激をもらったり。そういうヒントがあちこちに転がっている環境でしたね。
 それから高校の先輩に誘われて、サックス、フルート、トロンボーン、ギター、ベース、ドラムのバンドに僕がピアノで入って演奏したりもしていました。大学の4年間は本当にあっという間でした。いま振り返れば、もっと勉強しておけばよかったなと思いますけどね。

どんな状況でも、創造する力を絶やさずに

H ZETT M
2012年からスタートした、ピアノ1台で即興性の高い演奏を行う「ピアノ独演会」の模様

──昨今のコロナ禍においても、H ZETTRIOとしての新曲リリースや無料配信ライブ、ソロでのアルバムリリースや演奏会など、実に精力的に活動されています

 予定していたツアーや公演が中止になったのは残念でしたが、逆境だったり制限があったりする時に、何かを創造する勢いが増すという側面もあるのではと個人的には思っています。世界中が初めて直面する状況ですから難しいのですが、色々なバランスをとりながらも、創造するというパワーは絶やしてはいけないのではないかと思ったり……。
 去年9月にリリースしたピアノ・ソロのアルバム「記憶の至福の中に漂う音楽」は、2020年頃から自分が感じてきたことを落とし込めた気がしています。音なき音も含めていろんなものにもっと耳を澄ます、いろんな人の思いを考える。そういうことを考えていた時期でした。

──ファンの方への思いをお聞かせください

 特にコロナ禍では、皆さんがどういう形で見たり聴いたりしてくださっているか分からない時期もあったのですが、自分にできることは「丁寧に作ること、弾くこと」。そうすれば、ちゃんと届くのではないだろうかという気持ちがあります。自分の作った音楽によって、聴いてくださった方が心地良くなったり心持ちがふわっと広がっていったりする、そんなリアクションを見ると、うれしいなと思いますね。

──トレードマークの青鼻について伺ってもいいですか

 ある日気づいたら青くなっていた、ということにしているんですが(笑)。まあ、この不思議な見た目はおまけというか、“自分ではない誰か”という立ち位置で音楽を表現したいなと思っていましたので、そういった気持ちの表れがこのようなかたちになっているとご理解ください(笑)。

──今後ミュージシャンとして目指す姿とは

 こうして久々に母校に来ると、やっぱり勉強したくなりますよね。いま思ったのは、いろんな曲を分析・実践できるようになりたいということ。例えば、あるクラシック曲を聞いて、これはどういう年代の影響を受けてこういう旋律の動かし方、楽器の使い方をしている……といったことをすべて把握できて、かつ自分でも作れたらいいなと。ジャズでも、この弾き方やこのフレーズの作り方は、この人のこの演奏があったからできたものだ、とすべて理解したうえで、当然自分でも弾けるみたいな、そんなことができたら無敵ですよね。

──くにたちを目指す人たちへメッセージをお願いします

 音楽に打ち込んでいる人は、何を見たり聞いたりしても、音楽的な考え方や感性に落とし込めるものだと思います。日頃からそういう意識で生活をするというか、身の回りにあるヒントを獲得するといいのではと。頑張ってください!

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