国立音楽大学

ウィーン音楽・演劇大学(オーストリア)

大学院博士後期課程音楽研究科 音楽研究専攻(音楽学研究領域) 3年 鈴木 麻菜美

研究概要

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アレヴィ-協会にてサズを弾く、ビルディク先生、ビルディク・サズ教室の生徒たちと

報告者の博士後期課程における研究の中心は、現代におけるアレヴィーの音楽文化についてである。現在は特に、ディアスポラという社会環境の変化が特定の集団の持つ文化に与える影響に焦点をあて、オーストリアのトルコ系移民コミュニティにおけるアレヴィーの宗教音楽及び宗教旋回を含む文化活動について調査・研究を行っている。

アレヴィーとはトルコの宗教的グループであり、同国における宗教上のマイノリティでもある。彼らの儀礼ジェムでは宗教的な旋回セマーとともに民俗楽器サズで伴奏するアレヴィー音楽が演奏され、それらはアレヴィーの宗教及び文化面でのアイデンティティを象徴するものとして重要視される。彼らはトルコ東部を中心に居住しているが、経済的・社会的理由により1960年代からその一部がトルコ国内の都市部や中央・西ヨーロッパへ移住した。オーストリアではガストアルバイターGastarbeiterと呼ばれる労働移民とその2世3世を含むトルコからの移民は現在約27万人を数え、アレヴィーはそのうち約30%を占めるとされている。報告者のアレヴィーについての調査はトルコの例からはじまっているが、トルコでの調査や学会発表、論文の中でヨーロッパのトルコ系移民コミュニティでのアレヴィー音楽家や文化活動の例を聞き知ったことでディアスポラとアレヴィーの文化活動の関係に関心を持ち、現在オーストリアのディアスポラ・コミュニティのアレヴィーに焦点を置いている。

トルコ本国で、アレヴィーは宗教儀礼に音楽と舞踊を用いることから音楽家や楽器製作者として活躍してきた一方で、その特異な宗教習慣などからマイノリティとして扱われており、現代においても「宗教団体」としては認められず、あくまで「文化的集団」として制限された活動を余儀なくされてきた。オーストリアでは、アレヴィーの協会の一部が2013年に一宗教団体として政府の認定を受けるに至っているほか、オーストリアの義務教育で必修となっている生徒それぞれが自らの所属する宗教について学ぶ授業にイスラム教とは別にアレヴィーが選択肢に含まれているなど、トルコ本国に比べ先進的な環境を得ている。他地域と異なる状況が生まれた背景には、多民族が交錯するオーストリアの制度や環境、アレヴィーたちによる社会的・文化的活動がある。またこうした文化的活動はキリスト教文化圏であるオーストリアの中で、トルコ人でありアレヴィーであるという「二重」のマイノリティである彼らの文化的アイデンティティを維持し、次世代へと継承する重要な役割を担っている。オーストリアにおけるアレヴィーの宗教儀礼や文化芸能、それに含まれるコミュニティの内外での宗教的・社会的意義やその特徴を探求することは、アレヴィーの宗教芸能の現代における変遷や、オーストリアと移民による文化活動との関係性を検討する上で意義があると考えている。

具体的に留学中に行った研究活動としては以下のとおりである。これらの調査はウィーン音楽・舞台芸術大学の民俗音楽・民族音楽学研究所のハンデ・サウランさんをはじめとする研究員の方々と、研究所の協力によりコンタクトを得、そこからさまざまな調査への協力をいただいているオーストリア在住のアレヴィーでありサズ演奏家であるマンスル・ビルディク氏の協力による。

  • オーストリアのアレヴィー協会への訪問と儀礼の見学、インタビュー:オーストリアにはそれぞれの地域にアレヴィーのコミュニティの中心となる協会(デルネキ)が存在するが、留学中は特にウィーンに拠点を置くオーストリア・アレヴィー信仰協会Austurya Alevi İnanç Toplumu、オーストリア・アレヴィー統一連盟Avusturya Alevi Birlikleri Federasyonuのウィーン支部の二つを中心に調査を行った。具体的にはそれぞれの協会での儀礼(ジェム)を見学しその様子を撮影し、儀礼を取り仕切る役であるデデや儀礼音楽家であるザキルへのインタビューを行ったほか、同協会で開講されているサズの教室や教会から派遣された教師が行うアレヴィーについて授業(詳しくは後述)を見学した。事前に文献などで知識を得てはいるものの、アレヴィーの儀礼の手順、儀礼の中で演奏される音楽やセマーのレパートリー、そのタイミングで音楽が演奏されるのか、音楽を聴いた人々の反応やそこから推察される儀礼における音楽やセマーの役割などは、現地で直接儀礼を見学しなくては確認することができないものである。またインタビューを行ったことで、トルコでの儀礼との違いがあるのか、ディアスポラ・コミュニティで儀礼を行う際に意識されることなどについて直接意見を聞くことができたことも、現地調査でしかなしえないものである。ディアスポラ・コミュニティでは、毎週儀礼を行うトルコよりも儀礼の回数が少なく、年に数回ほどしか行われない。そのような数少ない儀礼を見学でき、またインタビューや後述の協会による他の活動について見学することができたのも、長期の調査により訪問を重ねることができたためである。留学を終える直前の2017年の9月には、一年の間調査にご協力をいただいたオーストリア・アレヴィー統一連盟のウィーン支部から、報告者のアレヴィー文化への調査と理解に対し、ということで感謝状をいただいたのだが、全くのアウトサイダーであるはずの報告者に手厚くご協力を下さったオーストリアのアレヴィーの皆様には、こちらからこそ感謝状を差し上げたいほどであった。

  

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トルコ人コミュニティでサズを弾く、マンスル・ビルディク先生と

また、研究の本筋ではないものの、文献ではアレヴィーとの混同が散見されたアラブ系アレヴィー(アラウィ―)によるオーストリア・アラブ・アレヴィー文化協会Avustrurya Arap Alevileri Kürtür Derneğiにも訪問しその儀礼を見学することで、研究対象であるアレヴィーとの具体的な違いを知ることができた。

  • 次世代への文化の継承の様子:母国から離れたディアスポラ・コミュニティで重要視されるのが、独自の文化をどのように維持するか、また次世代へどのように継承していくかについてである。それぞれの協会では、いくつかの手段によりオーストリアで生まれ育った第2・第3世代への文化継承の様子が見られた。トルコで盛んに演奏されアレヴィーの儀礼において伴奏を担う民俗楽器サズは、それぞれの協会で教室が開かれ、オーストリアにおいては貴重な母国の音楽文化を学ぶことのできる場となっている。また前述の一つの「宗教」としてのアレヴィーの授業は、トルコでは見られない、ディアスポラ・コミュニティに特有のものである。この授業の課外活動の一環として、一つの協会では年に1、2度のペースで「子供のジェム」が行われている。本来大人が中心となって行う儀礼ジェムを子供たちが中心となって旋回セマーなどと合わせて実践するもので、これにより、より具体的に自己の宗教的アイデンティティを学ぶことのできるようになっている。留学中に発見する機会を得たこうした文化継承の手段やその背景は、現在報告者が論文執筆に向けて関心を寄せるテーマの一つとなっている。
  • 研究所の映像の分析:先述の研究所には、2002~2005年にかけて行なわれたトルコ系移民における音楽文化を調査するプロジェクトの一環として収集された、アレヴィーの儀礼ジェムの映像資料や調査の内容のプロトコル(報告書)が残っており、当研究所の協力より留学中にその映像を得ることができた。この映像中には現在の調査では確認できていない「パフォーマンス」としてのセマーやそのリハーサル、現在の形になる前の協会で行われたジェムの様子が残されており、留学中から現在に至るまで分析を続けているところである。これらの映像及び資料は留学中の得ることのできた貴重な資料のひとつであり、本研究テーマに基づく論文や発表で大いに活用させていただいている。
  • オーストリアにおけるアレヴィー音楽家の活動:トルコ本国で音楽家として活躍しているアレヴィーだが、オーストリアの移民コミュニティでも活躍が目立ち、コミュニティ内の文化カフェ、レストラン、ディスコなどでサズ演奏家や民謡歌手として演奏活動を行っている。またコミュニティ内の結婚式においては伝統的なトルコの結婚式には欠かせないダウル(両面太鼓)とズルナ(ダブルリードの吹奏楽器)のアンサンブルを演奏している様子も確認でき、移民コミュニティの中でも母国の音楽の供給者としてのアレヴィーの役割が大きいことを、留学中の調査で確認することができた。
    また留学中は先述のマンスル・ビルディク氏のサズ教室を受講した。この教室では、ビルディク氏が行う伝統的なサズの教授法により、サズを含むトルコの民俗音楽に見られるテクニックや楽譜に表記されない装飾音の付け方、レパートリーなどについて、より実践的に学ぶことができた。日本でこのような実践的な教授は難しく、この経験は現在の研究や調査のみならず、トルコ民俗音楽についての研究を今後さらに追求していくうえで重要であったと考える。
  • 成果の発表:留学中の研究成果の一部については、ウィーン音楽・舞台芸術大学での授業の中で発表を行い教授や学生からレスポンスを得たほか、2017年7月にアイルランドのリムリックで開催されたICTM国際大会でも、本研究テーマに基づき留学中の研究成果を併せてプレゼンテーションを行った。日本でも学会発表の機会を得ることはできるが、留学期間内に発表し研究についてのレスポンスを得られたことで、早い段階で調査結果内の不足やその後の調査についてなど考えることができた。

大学での授業の受講:留学先のウィーン音楽・舞台芸術大学では世界に名だたる演奏家や著名な研究者によって開講される授業や研究指導を受けることができた。報告者は特に当大学の民俗音楽・民族音楽学研究所Institut für Volksmusikforschung und Ethnomusikologieのチーフであるウルスラ・へメテク教授の授業を受講し、また研究指導をいただいた。彼女は専門であるオーストリアのロマ(ジプシー)を始めとする様々な「マイノリティ」と音楽についての研究の第一人者で多くの著書や研究経歴を持ち、国際伝統音楽学会(ICTM)ほか民族・民俗音楽研究の世界に大きな影響力がある人物である。アレヴィーやオーストリアの移民にというマイノリティによる音楽活動を調査対象としている報告者にとって、経験豊富な彼女から研究や現地調査、文献調査などについて一年をかけて指導やアドバイスをいただけたのは大変貴重な体験であったと考える。

また、同研究所のモルゲンシュテルン教授による授業ではルーマニアのトランシルヴァニア地方に課外活動として調査に訪れ、ヨーロッパでどのように人々やその文化が歴史の中で混じり合い、今日まで生活しているかを実際に見聞きすることができたし、同研究所のマルコ・キュルベル博士による「フィールドワーク実践」の授業では、昨今ウィーンに増えつつあるアフガニスタン系移民のコミュニティでインタビューやコンサートの撮影など、報告者一人では決してできない研究体験を積むことができた。一年の留学の間にこの大学で受講した授業や経験は、この場で全て書き表すのは難しいほどに充実していた。

これらの授業の内容は必ずしも報告者の研究の本筋に沿うものではなかったかもしれないが、研究者としての重要な知識や高い経験値を得られるものであったし、オーストリアやその周辺をはじめとするヨーロッパの人々、あるいは研究対象であるトルコ人と同じく移民としてヨーロッパやオーストリアにやってきた人々の生活や音楽活動を見聞きすることは、今後の重要な研究材料となるだろうと考えている。

留学を終えての所感

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大学にて、ウルスラ・へメテク教授と

留学してよかったと思えることの一つは、これまで叶わなかったより長期間の密着した現地調査を行うことができた点である。本研究テーマは現地で実際に見聞きした情報が中心となっているため現地調査が欠かせないが、これまで長期間他国に滞在し調査をする機会を得ることができなかった。一年間現地に滞在し調査を行えたことで、より密着した調査と多くのコンタクトを得ることができた。また留学中民俗音楽・民族音楽学研究所に出入りし、多くの興味深い民族・民俗音楽の授業を受け、へメテク教授、モルゲンシュテルン教授、ハンデさん、マルコさんなど多くの著名な教授や活動的な研究者、同じく民族音楽の分野で活動する博士後期課程の学生などと交流できたことで、音楽研究の手法や考え方についてなど、より大きく視野を広げることができたと考える。

この充実した留学生活において辛さを感じることはそれほど多くはなかったが、言葉の壁はいつも厚く高く感じられた。授業が始まる10月に先んじ8~9月にかけて語学学校に通い準備をしたつもりではあったが、授業に追い付くレベルには程遠く、また少人数でのセミナーや個人指導では英語での会話を許されても、アカデミックな会話をするにはどの言葉も足りず、思うように伝えられない歯がゆさに悔しい思いをさせられた。しかしそうした状況にいるときも研究所の教授や研究員の方々、調査先の人々は根気強く報告者の話を聞き、協力の手を差しのべてくれ、本当に感謝するほかない。また留学中は慣れない外国での生活や日本との違い、孤独や様々な不便からホームシックなどを感じることも多いと聞いていたが、幸いにも、日本からの横井教授や家族によるあたたかい多くのサポートを得ることができ、また寮のルームメイトをはじめ、大学のクラスメイトや研究員、同時期にウィーンに留学していた栗田さん、内川さんと友人にも恵まれたため、そうしたことも感じられなかった。

 

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ウィーンでのフィールドワーク、トルコ人の結婚式

留学前、教授へのコンタクトを得るために一度オーストリアを訪れていたものの、あくまで旅行者としてであり、またドイツ語も全くできない状態であったため、留学前には保守的、外国人をあまり好まないなどオーストリアという国についての前評判に、不安を感じるところは大きかった。実際には、オーストリアは移民によって形成された多民族国家であり、また日本人や他の国からの旅行者も多く訪れていることから、言葉に慣れない外国人や英語でのコミュニケーションに多くの人が慣れており、留学初期には大変助けられた。もちろん留学前から聞き及んでいた昨今の移民の流入の問題やそれによる治安悪化、対移民の意向が強い右派政党の台頭など、移民や外国人についての不安は新聞や街の声からも察せられるものの、例えばさらに多くの移民が流入している隣国ドイツなどに比べ、環境か国民性の違いか、街の雰囲気はおおむね穏やかに感じられた。また西洋クラシック音楽の本場、というイメージが強いオーストリアであり、権威あるオペラ座やコンツェルトハウスをはじめ大小さまざまな音楽ホールや野外会場でクラシック音楽が盛んに演奏されていて、実際に報告者もそれらをよく訪れ大いに楽しんだが、同時にウィーンではオーストリアの民俗音楽のダンスコンサートや、移民たちの母国のコンサートやパーティが其処彼処で開催されており、報告者の研究対象であるトルコの音楽をはじめ、クロアチア系コミュニティの舞踏会やディスコでのアフガニスタン音楽のコンサートなど、様々な種類の「音楽」を内包する街であることが一年間の留学生活で感じられた。

留学の一年は終えたものの、オーストリアのディアスポラ・コミュニティやアレヴィーについての研究は未だ続いており、2018年2~3月にも再びオーストリアを訪れ、現地調査を行ったところである。オーストリアへの留学はさらに研究の場を広げるきっかけにもなり、2018年の調査においてはオーストリアのウィーンのほかインスブルック、ザンクトペルテンなどの他都市、ドイツのベルリン、トルコのイスタンブルにも調査の足をのばし、研究所の副所長でありアーカイブを担当するハンデさんのアドバイスを基に撮影を行い、インタビューなどを行っている。この一年の年月の間の経験は日本では得られたなかったものも多く、また得られたつながりは今後も持ち続けていきたいものばかりで、こうした機会を与えてくださった両大学、横井教授、へメテク教授はじめ諸先生方には改めて御礼を申し上げたい

現在進めている研究は、音楽のみならず宗教、史学をはじめとする広い見識が不可欠であり、ウィーン音楽・舞台芸術大学の研究所での授業や活動では、それらについての多くの知識のほかに、ヘメテク教授やモルゲンシュテルン教授、ハンデさんなど現地の民族音楽学者から直接講義を受け対話する機会を得たことで、様々な観点からの研究方法を学び得た。特に収集したデータの整理・活用や実際の運用方法をなどについて、研究所のアーカイブを担当するハンデさんから多くを学ぶことができた。この留学は社会学的・音楽学的見地を併せ持った研究者となるための大きな切っ掛けとなったと考える。

今後はこの留学期間中に得た映像や資料、調査結果をもとにさらに研究を進め、諸所での学会発表や論文としてまとめていき、最終的には博士論文としての提出を目指して、十分に生かしていく所存である。

鈴木 写真8
トランシルヴァニア(ルーマニア)へのエクスカージョン、現地の音楽を聴く
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アレヴィー統一連盟ウィーン支部より感謝状をいただく、支部長アリルザ・ユルドゥルム氏

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