ソルボンヌ大学(フランス)
大学院博士後期課程音楽研究科 音楽研究専攻(音楽学研究領域) 3年 陣内 みゆき
研究概要
研究主題:オリヴィエ・メシアン《アッシジの聖フランチェスコ》における時間的事象の投影としての作品構造
20世紀フランスを代表する作曲家オリヴィエ・メシアン(1908-1992)が、生前唯一遺したオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》における作品構造の研究をしています。
彼の音楽理論全体は高く評価されてきたものの、それに反して彼の形式構造に関してだけは、これまで多くの批判がなされてきました。1983年に作曲された唯一のオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》の形式構造を分析することで、彼の作品における構造が、これまで批判されてきたような単純な構造の積み重ねではなく、彼の語ろうとした内容を指し示す、あるいは強調する装置として機能することを明らかにすることを目的に研究を進めています。
協定留学先のソルボンヌ大学では、現代音楽の「形式構造と作品の表す時間軸についての研究」の第一人者であるJean-Marc Chouvel教授のクラスを受講しました。授業では、作品にふさわしい分析方法の選択、導かれる結論への連結の重要性について指導を受け、分析結果の図式化、可視化への方法の提示を受けました。教授は特に、楽譜から読み取る幾つかのパラメータを数値化することの重要性についてしばしば言及します。
主に戦後以降の音楽を研究する学生たちの集まるクラスでは、授業内発表(exposé)で各々が研究発表し、活発な討論を通して次の課題を探していくというゼミ形式がとられました。存命の作曲家を招いて、作曲者自身から作品分析を聞くという機会にも恵まれました。exposéでは、メシアンの作曲手法の一つとして、作曲者自身が残したオペラの15のテーマの循環について考察し、その周期をグラフ化したことに対する高評価を受け、教授と学生からの指摘により、新たな視点を得ることができました。
研究主題に関する発表をする場として、2回の授業内発表(exposé)の他に、博士学生のための国際学会、日本人若手研究者による研究会でのフランス語口頭発表を合計4回行いました。
2018年4月5日から7日の3日間にかけて行われた博士学生のための国際学会(congres doctoral international de musique et musicologie 2018)では、「オリヴィエ・メシアン《アッシジの聖フランチェスコ》における意味の強調としての音楽的断片の循環(Sur l'accentuation de la signification via des cycles de fragments musicaux dans Saint François d'Assise d'Olivier Messiaen)」の内容で発表を行いました。参加学生は多国籍で、発表言語は英語・フランス語・スペイン語から選択します。発表内容の多彩さもさることながら、パワーポイントの作り込み方にお国柄を垣間見て、タイムキーパー不在でどんどん時間が押しつつ、面白いと思う内容を心ゆくまで議論できる雰囲気にどっぷり浸かって…と非常に有意義な時間を共有できました。
6月16日に行われたパリ国際大学都市日本館日本多文化研究会、若手研究者による研究集会(12ème conférence académique des jeunes chercheurs dans le cadre du Centre d’Etudes Multiculturelles de la Maison du Japon)では、同テーマの内容を、多分野の研究者にも伝わるように、一般化した内容を発表しました。この内容は、タイトルを改めL’accentuation de la signification et la structuration formelle avec les fragments musicaux dans le Saint François d'Assise d'Olivier Messiaenとして、同会の研究会誌(Cahier multiculturel)への掲載が既に決まっています。
フランスにおいて、作曲家の用いたフランス語に触れ、キリスト教文化の中で過ごしたことで、新たな研究視点も追加されることになりました。今後の課題としては、オペラのテクストを丹念に読み、構造との連関を詳細に考察することで、《アッシジの聖フランチェスコ》全体像を明らかにするとともに、メシアンが言葉で語らず、音楽に託した表現を掘り起こす作業を進めていきます。
留学を終えての所感
楽譜の分析だけで、ある程度まで対象作品を知りうることが可能だと考えていましたが、実際には、対象作品の主題であるキリスト教がいかに人々の人生に影響を与えているのか。一つの単語をとってみても、どのようなニュアンスを帯びているのか。そういった作品の外側に広がる事象を捉えて、初めて研究対象を論じることができるのだと体感できたことが、留学での一番大きな収穫です。
生活様式のみならず、地理や天候によって育まれた思考法は、音楽の根底にたしかに受け継がれていて、これらは、実際にある程度の長期間現地で生活して初めて理解できることだったと感じています。
例えば、友人である日本人の多くが疲労を感じたパリの3月の天候。日本の四季ははっきりと分かれているといわれますが、1日の天候の変化は割に穏やかだといえるでしょう。底冷えする冬と、底抜けに明るい春に挟まれたフランスの3月は、非常にエキセントリックな天候です。朝起きた時、なんて良いお天気なんだろう!と思うと、あっという間に空は暗いねずみ色に変わり、突然の土砂降り。今日は雨の日だったかな…と天気予報を確認するやいなや、30分もしないうちに雲間から燦々と輝く太陽が覗きます。そして何の前触れもなく強い雨…この急激な変化が、1日のうちに何度も、何度も訪れるのです。
メシアンはパリの喧騒を嫌っていました。なるほどパリの朝は、大きな道路清掃車がサイレンをファンファン鳴らして街中をまわり、6時半には街中いたるところでバリバリと音を立てて工事が始まり、日中は荒い運転の車が次から次へとクラクションを鳴らし、地下鉄の轟音とひどい埃に、夜はいつまでも楽しげな人が道で歌い踊り、一日中賑やかです。それでも、メシアンの作品は静寂に聞こえる鳥や波の音だけでは彩られず、けたたましい音響が散りばめられ、膨大な音楽的断片が頻繁に交替し、それが一つの魅力になっていることも事実です。単なる形式構造としてしか捉えていなかった音楽のかたちが、もっと深く作曲者自身の内面を表出する可能性があるのでは…と実感を伴って考えるきっかけとなっています。
また、2018年は「1968年5月運動」の50周年だったので、政治的な活動がかなり活発な年で、公共機関の使用が制限されたり、大学が閉鎖されたりする事態が頻発しました。授業が取り消され、試験も取りやめ、発表も公園での青空授業になって…と困ることも多くありましたが、通常はなかなか目が向かない事柄を直視せざるを得ない状況下で、フランスそのものの特異な部分が鮮明化されたことで、短期間で実体験として一つ一つ腑に落とすことができたように思います。
当初はメシアンに対する興味しか抱いていなかったため、パリにもフランス語にも何の愛着も感じていませんでしたが、1年を通して愛すべき隣人となった今、より広い視野で研究と向かい合っていきたいと思います。
留学の機会を頂戴し、ありがとうございました。