ジャズ専修 池田先生×塩谷先生×鈴木瑶子さん
音楽家にしか経験できない幸せがある
ジャズ専修の立ち上げ時から関わる池田篤先生、ジャンルを超えて活躍中の塩谷哲先生、ジャズ専修卒業生でいま注目のジャズピアニスト鈴木瑶子さん。くにおんジャズの歴史を彩ってきた豪華メンバーのトークセッションが実現しました。
撮影:山口 大輝
ジャズのイメージを変えようとスーツで大学へ
──くにおんのジャズ専修は、どういった経緯で設立されたのでしょうか?
池田:最初のきっかけは山下洋輔先生ですね。先生は時々くにおんで講義をしていらっしゃって、それを手伝っていたのが金子健先生、それから僕も時々参加するようになり、山下先生を筆頭に演奏応用コース(通称、ジャズ・コース)を作りました。それをずっと陰で支え基盤を作り、ジャズ専修まで発展させたのが栗山和樹先生です。ただ、その前に、くにおんのNEWTIDE JAZZ ORCHESTRAは1981年にできているので、すでにジャズの流れはありました。僕はNEWTIDEができた翌年の1982年にくにおんに入学しています。
塩谷:NEWTIDE、僕も昔入っていたんですよ。大学は違うんですけど、縁があって。
──池田先生は学生時代にクラシックを学んでいたんですよね。
池田:ジャズをやりたくて入ったんですけどね。くにおんの卒業生はジャズで活躍している方が多かったので。ところが入ってみたら、ジャズをやってる人がほとんどいなかったんです。せいぜい各学年に一人くらいだから友達が少なかった(笑)。練習場所もなくて、今、新1号館があるところが庭だったので、いつもそこのベンチで練習していました。その頃まだジャズは、大学でクラシックを学ぶ人から見ると、正当ではない音楽だったかもしれません。だから、教員になってから「ジャズって野蛮なものじゃない、ちゃんとした音楽です」って理解してもらうために、毎日スーツにネクタイで大学に来てました(笑)。
──塩谷先生は、東京藝術大学の作曲科にいながらジャズを志向したのはなぜですか?
塩谷:作曲科って、曲書いてなんぼの世界。でも、その「書く」というのが本当に孤独な作業でね。一方で、ライブハウスとかで演奏して拍手がもらえたりすると、その何倍も音楽やっている実感があって、その楽しさに引きずり込まれてしまい…。
──鈴木さんが、くにおんのジャズ専修に進んだのは、どんなきっかけですか?
鈴木:私はもともとエレクトーンを習っていました。中学生のときにビッグバンドに興味を持ちはじめて、小曽根真先生のNo Name Horsesのライブにも行くようになったんです。
譜面通りに弾くとミスタッチしちゃうのが悩みだったんですけど、ある時エレクトーンの授業で「即興」を知って、「即興」ってことは「間違い」はないんだ!と。実際はそんなことないんですけど(笑)。でも、それがジャズをやりたいと思ったきっかけでした。それでジャズをやりたいなと思って。人と演奏するのがすごく好きだったから、ピアノに転向した方がいいとエレクトーンの先生にも言われていたんですよね。高校1年の時、くにおんにジャズ専修ができて、小曽根先生がいらっしゃると聞いて、受験を決めました。
教えるとは、学生の成長のきっかけを作ること
──ミュージシャンでもある先生方が指導をする上で、大切にしていることはありますか?
池田:僕が大切にしているのは、教え方にしても、「極力ジャズ的」、「即興的」であること。学生は一人ひとり違うし、学年ごとにまたカラーが全然違うんですよね。このクラスにはこう教えるけれども、次のクラスでは異なるし、個人レッスンをしていても、学生によって全く教え方が違ってくる。だから、台本みたいなものを極力少なくして、授業に行ってその場でぱっと決める。これは学生に真似されているらしいんですけど、僕は口癖で、ポケットに手を入れて「先週何やったっけ?」って言うらしい(笑)。じゃあ、「今日はこれやろう」と。
塩谷:僕はですね、自分がジャズマンだとは思ってないんです。はじめ小曽根さんから講師に誘われて断ったんですよ、教えられませんって。だけど小曽根さんは「何を教えるっていうんじゃなくて、ソルト(塩谷先生の愛称)がやってきた音楽を伝えてくれればいいから」って言う。そんなもんかな、とにかくやってみるかと思って、来ちゃったんです。でもさすがにジャズ専修だから、恥ずかしくないくらいにはしておかないと、って、そこから勉強したんですよ、本を買ってきて(笑)。
ただ、やってみると、今まで自分でやってきたことが生かされることも多かったので、なんとか日々少しずつ成長しながら、教えています。教えているというか、自分だったらこう弾くかな、っていうことをやってみて、その中で引っかかってくれるポイントがあればいいかな、という感じですね。学生を何年も見ていて、こんなに弾けるようになったんだ、って成長を感じるのは、やっぱりすごく嬉しいです。そのきっかけを作るってことかな。
──鈴木さんはどんな学生でしたか?
塩谷:僕が特に印象深かったのは、作編曲の授業で、1年間で4管アレンジ、6管アレンジ、最後にビッグバンドアレンジをするんですけど、いいもの書いてくるんですよ。アイデアが豊富だし、それを具現化する力も持っていた。あと、ピアノの成長は著しかったですね。
鈴木:最初弾けなかったですもんね。ピアノってエレクトーンの弾き方とは全然違うので。
塩谷:それをどんどん吸収していく、そういうタイプですね。あとね、すごくいろんなことに興味持って質問に来たよね。そういう人はやっぱり伸びますね。
池田:瑶子ちゃんはとにかく印象としては「一生懸命」。この学年はわりと、一生懸命の人が多かった。それだけに揉め事も多い。みんなすぐ喧嘩になっちゃう。で、泣くし……。
鈴木:私の学年は本当にみんな強いし、貪欲で、3ヶ月に1回ぐらい喧嘩してた。一度池田先生が、私の学年全員を集めて、「みんな、今何が起きてるか、一回話してくれない?」って。それでまたみんな泣きながら話す(笑)。
でもあの頃、あまりにも毎日が濃かったので、思い出は話し出すと終わらないくらいです。
──鈴木さんはバークリーに留学されましたが、あちらでの勉強はどんな感じでしたか?
鈴木:バークリーは、すごくシステマティックに理論を教えてくれるんですけど、アンサンブルとかはとても自由度が高いので、自分の目指したいものや、何がしたいかがはっきりしていないと、何も学べない。私はくにおんを卒業してから留学してよかったと本当に思います。くにおんは少人数で、先生方も、私たちの喧嘩にも関わってくださるくらい(笑)、本当に一人ひとりを見て、言葉をかけてくれていたので、その中でまず自分が本当に音楽をやりたいのか、どんな音楽をやっていきたいのか、なぜやっていきたいのかという、根本的な部分を教えていただきました。それを具現化するために必要なパーツを学んだのが、バークリーだったと思います。
自分の足で生きていくために大切なことを学んだ
──大学でジャズを学ぶからこそ、得られるものはありますか?
塩谷:国立音楽大学は恵まれていますよね。図書館も楽器学資料館もすばらしいし。友達にしてもオペラの学生もいれば、作曲、コンピュータ(現 音楽デザイン)の学生もいて、それぞれの専門の教員もいて、多様な人材がいる環境がある。例えばビッグバンドをアレンジしたら、それを音にしてくれる人たちがいるわけです。大学という環境をうまく使おうと思ったら、いくらでも使える。能動的な興味のある学生にとっては、最高の環境じゃないかと思います。教育機関でもあると同時に研究機関という学術的な風土の中で、ジャズを学べるっていうのが、すごく面白いなと思っているんですね。
鈴木:私は最初、大学って、テクニックとか、どうやったらジャズが弾けるのかを教えてもらえると思っていました。ところが入学してみたら、「音楽とはどういうものか」「音楽家というのは何を考えて生きているのか」っていう話を、どの先生もしてくれた記憶があって。そこで一気に、音楽をやりたい、という気持ちが第一になっていった気がします。初めは、卒業後どうしようとか、教職を取ろうかとか考えていたんですけど、卒業する頃には、「どうやって音楽を良くしていこう」とか「どうしたら自分の伝えたいことを伝えられるだろう」とか、そんなことを考える時間の方が圧倒的に多くなっていました。それはやっぱり、同期も先輩も後輩も、本気でプロを目指してやっている人たちばかりだったし、先生方もそうやって生きている音楽家の方々ばかりだったからですね。そういう人たちと触れ合いながら4年間過ごせたのは、とても大きなことだなと思いました。
──卒業後はジャズミュージシャンの道へ進む方が多いのでしょうか?
鈴木:私の学年はプロになった人がとても多い学年ではあるんですけど、別の道へ進んだ人もいます。でも、くにおんで学んだ生き方は、他の仕事でも絶対に役に立っているはずです。一つのことに挑戦するんだったら本当に全力で取り組まないといけないし、その本質をしっかり見なきゃいけない。人と関わっていくんだったら、ちゃんと話し合って、喧嘩しながらも伝え方を学んで、能動的に関わっていく。ちゃんと自分の足で生きていくという意味で、すごく大切なものをいただいたと思っています。
池田:実際、卒業生はいろいろな道に進んでいるよね。作編曲家として活躍したり、スタジオミュージシャンとしてやミュージカルで演奏したり。中学高校の先生をしている人もいますね。今の音楽の授業って、昔と違って幅広いから、モーツァルトだけ聴いてればいいわけじゃない。ジャズのことも教えられる先生が、もっと増えたらいいんじゃないかな。
鈴木:私は近頃、ジャズミュージシャンとしての活動のほかにも、けっこういろいろなお仕事をさせてもらっていて、映像作品に音楽をつけたり、NPO法人がやっている国際的なプロジェクトでアンバサダーとして、演奏をする活動に参加させてもらったり。即興的に何かをできる力は、ほかのジャンルと関わる時にもとても生かされると思いますね。
苦労の先に待っている「幸せ」を味わうために
──音楽を仕事にするとは、どういうことだと思いますか?
塩谷:音楽をやることと、それで生計を立てていくことは、やっぱりなかなか結びつきにくい。それでもやるっていうのは相当な変人かもしれない。だけど、それこそが一番人間にとって尊いことだと思うんです。お金を得ていい生活をして、おいしいもの食べて、それが幸せだったらそれでいいけど、それ以上の幸せが待っているわけですよ。
鈴木:そうですよね。好きなことをやるってめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。自分も好きなものがあるから辛いことも乗り越え、生きてこられたみたいな気持ちがあるから、続けているわけだし。
池田:もちろん、音楽を仕事としてやっていく上では嫌なこともあるかもしれない。けれど、その中に、大きな喜びが得られることがある。僕が最初に体験したのはNEWTIDEかな。大学2年の時に初めてYAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTに出たんだけど、その頃まだNEWTIDEができて間もなかったので、自分たちは全然自信なくて。で、演奏し終わったら、もう会場が、割れんばかりの拍手。何が起こったんだろう?って感じ。それで優勝したんだよね。ほんと、みんなびっくりした。
塩谷:僕は、高校生ぐらいだったかな、やっぱり音楽で生きていきたいなと覚悟を決めた瞬間があるんですよ。最初の頃、ライブやってもお客さんは1人か2人、全くゼロのこともあってね。その時のギャラが100円。その100円が、だんだん200円、300円になって、500円玉になったんですよ。「やった、これで定食が食える」(笑)。それが1000円札になり「音楽で食ってるな」って、すごく嬉しかったんですよね。
苦労して音楽を勉強したり、経験を積んだりすることでしか味わえない幸福感ってあるし、音楽で繋がった人の中には一生親友というか、魂が繋がるような人もいるし。そういうのって普通の仕事をしていたらなかなか経験できないんじゃないかな。そういう意味でね、音楽には本当に夢があるんですよ。
──最後に、ジャズってちょっとハードルが高いな、と思っている若い方々にメッセージをお願いします。
鈴木:そもそも、ジャズは難しそうだから聴かないっていう人も結構いる気がします。
塩谷:分からないって思っちゃうんだよね。
鈴木:そうなんです。でもそんなに難しく考えることはなくて、私たちも普通の生活で感じたことを音楽に乗せているだけで、ポップスと変わらないですから。
池田:吹奏楽とかピアノはやっていたけど、大学で初めてジャズに足を踏み入れた、という人もけっこういるので、そういう意味ではみんなゼロから始める初心者だしね。
鈴木:オープンキャンパスに一度来てみて、ぜひジャズの楽しさを体感してみてほしいですね。
プロフィール
池田 篤 Atsushi Ikeda
国立音楽大学ジャズ専修教授、ルーツ音楽院講師。国立音楽大学器楽科卒業。サクソフォーン奏者として在学中より山下洋輔のグループなどに参加し、1985年YAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTで優秀ソリスト賞受賞。小曽根真 feat. No Name Hoses、山下洋輔 Special Big Bandはじめ数多くのバンドで活動中。
塩谷 哲 Satoru Shionoya
国立音楽大学ジャズ専修准教授。東京藝術大学作曲科出身。在学中よりオルケスタ・デ・ラ・ルスのピアニストとして活動。自身のグループのほか、小曽根真、渡辺貞夫、リチャード・ストルツマンはじめ多数のコラボレートや、コンサートプロデュースなどで幅広く活動。NHK Eテレ『コレナンデ商会』など番組の音楽も担当している。
鈴木 瑶子 Yoko Suzuki
ジャズピアニスト、作編曲家。2013年に国立音楽大学ジャズ専修3期生として入学し、小曽根真氏、塩谷哲氏にジャズピアノを学ぶ。卒業後、バークリー音楽大学に留学し、ジャズ作曲とジャズパフォーマンスを学ぶ。在学中は大学内外よりさまざまな賞や奨学金を受賞する。2020年に同大学を首席で卒業。
