鐘の音色にくつろぐ二人のイラストレーション
History

-トピックでひもとく-
アンサンブルの
くにたち

III

Avant-Garde

1965-1989

すべての学生が共に学べる 
新たなキャンパスの完成

上水台校舎1・2号館竣工(1966年)

高度経済成長を背景に、大学進学率が高まった1960年代。本学でも1950(昭和25)年には70名だった定員数が、1962年には約4.3倍の300名と激増、従来のキャンパスが手狭となる事態となりました。

そこで、玉川上水駅近く、2万坪の土地購入へと動きます。しかし米軍基地や飛行場があったことから、学生からの反対運動が起こりました。これに対し、土地返還運動が継続されていることや騒音等の問題解決に当たる等、本学は、学生に懇切丁寧な説明を行い、移転が決定しました。

創立40周年・上水台校舎竣工記念式典(1967年5月7日)
有馬大五郎学長挨拶

開学40周年を迎えた1966年10月に1、2号館を竣工し、翌年5月7日には落成記念式典を挙行しました。これを皮切りに、3号館(1968年)、4号館(1969年)、5号館(1973年)を建造。1973年には、国立校舎から幼児教育専攻も合流し、すべての学生が共に学べる体制が整います。そして、音楽の専門教育機関たる新たなキャンパスが完成しました。

音楽をより深く学ぶため 
大学院修士課程を新設

新人演奏会(1976年度)

本学は、学部を卒業した学生がさらに音楽を研究する場として、戦前から研究科(2年制)、1956(昭和31)年からは専攻科(1年制)を設けてきました。1968年4月には、これを充実・発展させた大学院音楽研究科修士課程を新設しました。声楽、器楽、作曲、音楽学、音楽教育学の5専攻を設け、入学定員は単科大学では最も多い36名となりました。

声楽は「オペラ」「ドイツ歌曲」「イタリア、フランス歌曲」「日本歌曲」、器楽は「ピアノ」「弦楽器」「管楽器」「打楽器」、作曲は「作品創作」「音楽理論」、音楽学は「体系的研究」「歴史的研究」、音楽教育学は「理論的研究」「実践的研究」と、専門領域ごとに構成された体系的教育プログラムでした。

まだ専攻科であった1959年度修了生からスタートした新人演奏会(1974年度まで同調会〈同窓会組織〉主催)は、修士課程修了生が出演する演奏会として現在に至っています。

コレクションの発展が実り 
国内有数の音楽図書館に

国立校舎新本館に設置された図書館(1961年完成)

本学の図書館は、新制大学への昇格を前に、大学創立関係者から寄贈された蔵書の数々から始まりました。その後、楽理学科教員による、本格的な資料の収集が始まり、西洋音楽だけでなく、邦楽や民族音楽、音楽教育学等、広範な分野の資料が集められます。

大学院設置前に、さらに大規模な収集が行われ、質・量ともに充実した図書館の基盤が確立。1969(昭和44)年には研究の拠点となる4号館も完成します。1970年代からは音楽大学の図書館としての専門性が高まっていきます。髙田三郎、入野義朗といった日本人作曲家や、『ドキュメンタリー新興作曲家連盟戦前の作曲家たち:1930-1940』(1999年)といった特定のテーマに関する作品・文献目録、貴重資料の所蔵・解題目録など、これまでに50点以上の図書を刊行しています。また、音楽資料目録のデータ化や図書館システムの導入にもいち早く取り組み、わが国の音楽図書館を牽引してきました。

図書館の貴重資料(竹内道敬文庫所蔵錦絵)2019年にデジタルアーカイブを公開

現在では、書籍・楽譜・AV資料等を合わせて約40万点の充実した音楽資料を所蔵し、かつ、貴重書のデジタルアーカイブ化、デジタル楽譜サービスの国内初導入など電子化に対応した先進的な取り組みも続け、国内有数の音楽図書館として高く評価されています。

新しい定期演奏会の開始と 
オペラにも新風が

第1回打楽器アンサンブル定期演奏会 プログラム(1970年)
指揮をする岡田知之(1974年・第5回打楽器アンサンブル定期演奏会)

この時期、定期演奏会でも新たな取り組みを始めます。1つは、日本の大学で初めてとなった打楽器アンサンブル演奏会で、1969(昭和44)年に授業として始まり、1970年に最初の演奏会を開きました。N響で活躍する打楽器奏者・岡田知之を講師に迎え、前衛的かつ実験的な新しい潮流を取り入れた試みでした。

1972年には、二部(夜間)から始まったシンフォニックウインドアンサンブル定期演奏会がスタート。日本における吹奏楽文化を開拓しよう、という気概を抱き、数多くの邦人作品を演奏していきます。そして1982年からは作曲学科の定期演奏会(現:「作曲作品展」)が始まります。

1980年には大学院オペラとは別に、著名な指揮者や演出家を迎えたオペラが企画されるようになります。本邦初演となった『アチスとガラテア』以降、『秘密の結婚』(1986)、『劇場支配人』(1987)、『イドメネオ』(1991)、『セビリャの理髪師』(1995)などを上演していきます。また、17世紀イタリアオペラの中でも大きな人気を博したチェスティのオペラ『オロンテーア』公演(1995)は、様式感あふれる舞台として高く評価されました。

第1回シンフォニック ウインド アンサンブル定期演奏会(1972年)

Column海老澤(びん)
(1931-)

1979(昭和54)年4月から1991年3月まで本学の第二代学長を務めた海老澤敏は、モーツァルト研究の第一人者として知られています。

父の影響で本好きであった海老澤はジャン=ジャック・ルソーらフランス哲学や文学にも慣れ親しみフランス語に堪能でした。1955年東京大学文学部美学美術史学科卒業後、1958年同大学院修士課程を修了。1962年から2年間、フランス政府給費留学生としてパリ大学(ソルボンヌ)で学びます。

本学には1960年に専任講師として着任、1966年に教授に就任しました。その後、附属図書館館長、音楽研究所所長などを務め、1979年には学長に就任、本学附属各校長と園長も兼任しています。

また、モーツァルト没後200年の1991年には世界的演出家ミヒャエル・ハンペ氏を迎え、大作オペラ『イドメネオ』を上演。その他国内外から著名な研究者を招き「国際モーツァルトシンポジウム」を開催しました。この時、海老澤は、組織委員長として全体統括を行い、司会・パネリストとしても議論をリード、3日間にわたる学会を成功させました。

新シンボルを備えた講堂は 
世界でも有数の音楽の殿堂に

講堂(ホール)外観(1982年竣工)

上水台キャンパスへの移転後、悲願として浮かび上がったのが新講堂(ホール)建設です。国立校舎時代に演奏会や学校行事を行っていた“かまぼこ屋根”が印象的な講堂が取り壊されてからは、外部のホールを使用するしかなかったからです。そして、理想的な音楽空間となるホールの建築に着手します。

国内だけでなく欧米のホール等を実際に現地視察し、指名設計競技を実施。厳正な審査の結果、東京文化会館等を手掛けた前川國男建築設計事務所に設計・監理を依頼します。様々な困難を乗り越え、1976(昭和51)年の計画立案から6年後の1982年11月、ついに竣工に至りました。

さらに完成時には、現在も講堂のシンボルとなっている2つの贈り物が届きます。まず、国立音楽大学同調会からドイツの老舗ベッケラート社製パイプオルガン、後援会からはグロッケンシュピール(カリヨン)『大地の鐘』が寄贈されたのです。

完成の翌年には、5月21日から6月4日まで2週間に及ぶ連続コンサート「講堂竣工記念演奏会」が開催されました。

愛する母校と共に 
音楽文化の振興を図る同調会

同調会から寄贈されたパイプオルガン(講堂・大ホール)

パイプオルガンを寄贈した同調会は1928(昭和3)年、本学の前身である東京高等音楽学院の第1回(本科)卒業生が輩出されたのを機に、同窓会組織として発足しました。その目的は、母校の支援や会員相互の親睦、そして国立での学びを体現する演奏会の開催でした。戦前から、母校の演奏会への出演、学生の学外での演奏旅行時の準備等、卒業生との連携が構築されました。

同調会の活動は他にも多くあります。1956年から刊行されている『同調会だより』(現:『同調会ニュース』)は、その時々の本学の様子や会員の活動を伝え、2023年に通巻100号を迎えました。コロナ禍の際には、学生を支援するため500万円を寄付、学生たちに食料品などの支援品を配布することができました。

2017年には、その活動、実績、功績が顕著である同調会員、あるいは団体を対象に、会員の推薦に基づき表彰する「くにたち賞」(大賞2件、奨励賞2件以内)を創設。創立100周年には第9回を迎えます。

こうした活動や演奏会への関わりをはじめ、卒業生一人ひとりが社会で音楽文化の振興に貢献しており、その絆は現在にまで受け継がれています。

専門家によるプロジェクトで 
音楽を探究する音楽研究所

新講堂の建設構想に着手した1970年代後半から、研究施設の充実も推進します。

1976(昭和51)年、専門分野について精深な共同研究を行い、芸術・学問の進歩発展に寄与することを目的に、「音楽研究所」を設置。4年を1期とし、複数の研究部門がテーマごとに活動を推進しました。例えば、オペラ、邦楽、ベートーヴェン、音楽療法等のテーマがありました。

2008年度からは、バッハとオペラの「演奏研究」に主眼を置いた2部門を新たに立ち上げ、大学院生を中心に学生や修了生も参加した研究プロジェクトを展開します。それらの成果は、大学だけでなく広く社会に還元されていくのです(2019年度以降、音楽研究所の活動は休止しています)。

芸術・学術・教育への寄与のため 
研鑽を続ける楽器学資料館

音楽研究所時代の楽器資料館(1983年頃)

1979(昭和54)年、音楽研究所の楽器研究部門に「楽器資料館」が設けられます。これは、1966年よりルネッサンス・バロック音楽演奏研究を目的に収集してきた世界各地の楽器を広く公開・展示するためです。収集された楽器は日本の楽器も含め、地域や年代別に分類され、管理も進められました。

この「楽器資料館」は、1988年には独立し、「国立音楽大学楽器学資料館」として新たな歩みを始めます。以降、楽器に関する様々な学術研究を行い、芸術・学術・教育の発展に寄与するべく活動を続けています。

2008年からは新たな試みとして、目的とテーマを定め、数年単位で研究を進めるプロジェクト制を導入しました。初回の「弦楽器プロジェクト」では、18世紀に製作された所蔵楽器に着目し、このプロジェクトのために結成された「カペラ・アウローラ・クニタチ」が当時の弦楽器の音色を蘇らせました。

楽器学資料館の標本資料は、現在、2,590点に及んでいます。

楽器学資料館は、音楽研究所が活動を始めた1976年から数え、2026年に50周年を迎えます。本学創立100周年では、『収集・研究・教育活用を積み重ねた半世紀の軌跡』をテーマに企画展示を行います。

Column礒山(ただし)
(1946-2018)

礒山雅は、1946(昭和21)年東京生まれ。東京大学文学部・大学院に進学し、美学芸術学を専攻。1982年から1984年までミュンヘン大学に留学しました。日本ではバッハ研究の第一人者として「バッハの権威」と呼ばれました。

1977年に専任講師として本学に着任。1985年度に助教授に就任、1992年度に音楽学部教授となり、他にも図書館長や音楽研究所所長を歴任しました。2008年、音楽研究所に「バッハ演奏研究部門」が創設された際、声楽部門に「くにたちiBACHコレギウム」を立ち上げます。4年後の2012年には、当時の日本ではまだ珍しかったピリオド楽器を使った「J.S. バッハロ短調ミサ曲BWV232演奏会」を開催し、大きな成功を収めました。同年、退職しましたが、その後も招聘教授として本学の教育に携わりました。

礒山は、『マタイ受難曲』(第9回京都音楽賞研究評論部門賞)や『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(第1回辻荘一賞)など多くの優れた著作を残しました。2020年には遺著となる『ヨハネ受難曲』が刊行されています。

-トピックでひもとく-
アンサンブルの
くにたち