丸田 悠太(フルート・ピッコロ奏者)
音楽に囲まれた毎日に感謝しつつ、自分のさらなる可能性に挑み続けます。/2011年4月
プロフィール

丸田悠太さん(まるた ゆうた)
MARUTA Yuta
フルート・ピッコロ奏者
新潟県新潟市出身。2004年国立音楽大学器楽学科を首席で卒業、矢田部賞受賞。2006年国立音楽大学大学院修士課程修了、ならびに研究奨学金授与。
フルートを榎本正一、浅利守宏、大友太郎、佐久間由美子の各氏に師事。
宮内庁桃華楽堂新人演奏会において皇后陛下の御前にて演奏。読売新人演奏会、ヤマハ管楽器新人演奏会、フルートデビューリサイタル出演。第7回JILA音楽コンクール管打楽器部門第2位。第15回ヤング・プラハ国際音楽祭、
りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)ワンコインコンサート等、その他ソリストとして多数出演。
ソロ、室内楽、オーケストラ、レコーディング、トレーナー、審査員など様々な活動を展開。現在、東京佼成ウインドオーケストラ、フルート・ピッコロ奏者。風の五重奏団(木管五重奏)メンバー。
公式ブログ“笛吹きの雑記帳” http://blogs.yahoo.co.jp/fuefuki_yuta_lanevo4g63turbo
インタビュー

「ピッコロはフルートと同じ指使いで演奏できる移高楽器ですが、小さくて繊細な分、扱いが難しい楽器です。でもそこが魅力で、ピッコロとフルートは演奏者が両立できてこそ個性が生きる楽器です――――」。
『東京佼成ウインドオーケストラ』にフルート・ピッコロ奏者として所属する丸田悠太さん。その活動の幅は楽団を飛び出し、マルチな方向へと広がっている。フルートとの出会い、プロを意識した学生生活、音へのこだわりなど、プロの演奏家の「これまで」「いま」「これから」にアプローチする。
僕の根底にある音楽の土台は、すべて国立音楽大学で形成されました。
フルートとの出会いが、少年の人生に転機をもたらす
小学2年生の冬、母親と祖母と一緒に行ったファミリー向けのクリスマスコンサート。そこでフルートの音色に衝撃を受け、「この楽器をやりたい」と口に出していた。もともと両親がピアノを習わせようと考えていたこともあり、本人の希望ならばとフルートを習うことに。しかも実際にそのコンサートのステージに立っていた榎本正一先生に教わることになった。
「実は、フルートをやりたいと言ったことは、後で母親から聞いた話で、自分では覚えていません(笑)。ただ、ステージで榎本先生が演奏している映像とフルートの音色は、いまもはっきり印象に残っています。思えば、その日にフルートと出会っていなければ、現在の自分はどうなっていたんでしょうね…。想像がつかないです」
地元新潟で榎本先生による、週1回のレッスンがスタート。まずは唇を楽器に付けるだけの繰り返しで、音を出すところまではなかなか到達しない。そのうち音を出し始めても思うままの音色が出ず、悔しさは募るばかりだった。ただ「思うままの音色が出ない」ということは、上手くなれば「思うままの音色を出せる」ということ。人見知りがひどく、周りに自分を表現することが苦手だった幼い頃の丸田さんにとって、フルートを通じて誰かに“自分”を伝えられることは、とても魅力的に感じた。
「もともと『自分を表現したい』との思いは強かったため、引っ込み思案だった性格が、フルートの上達とともに、少しずつ積極的になっていきました」
新しい出会いが、国立音楽大学へと導く

ずっとフルートの個人レッスンを受けていた丸田さんだったが、中学では合奏にも挑戦してみたいと思い、吹奏楽部に入部する。ところが、そこで与えられた楽器はフルートではなく、トロンボーン。
「“男は黙って金管楽器”みたいな雰囲気があって、フルートを習っているとのアピールもむなしく…(笑)。でも榎本先生に、『メロディ主体のフルートに対し、和音が大切になる金管楽器を知るのも良い経験』と言われ、前向きにトロンボーンに取り組みました。その結果身につけた金管楽器特有の“感覚”は、いまのフルート演奏、とくにアンサンブルなど、周りとの調和が必要なときに役立っており、あの時の先生の言葉を実感しています」
その後、部活推薦で新潟県内でも有数の吹奏楽部を持つ高校に進学。そこでついにフルートを担当することに。
そして、その頃から「ずっと音楽を続けたい」との気持ちが強くなり、“音大を経てプロになる道”を意識し始める。
「音大に進学したい」との丸田さんの思いに、榎本先生は「自分は長く見過ぎて、レッスンもマンネリ化しつつある。さらに上を目指すなら、新しい目での指導も必要だろう」と、新たに浅利守宏先生を紹介された。
「榎本先生とは対照的に、結構ズバズバと厳しく指摘される浅利先生。その指導法の違いに最初は戸惑いもありました。とはいえ、浅利先生は榎本先生の門下生でもあるので、やはり僕のこともよく理解してくださり、
自分の音楽観を広げることができました」
さらに高校2年生のとき、部活の先輩に誘われて、音大の冬期講習に参加。そこで大学時代に師事する大友太郎先生との出会いがあった。
「大友先生のフルートには、これまで知らなかった音色の“広さ”と“深さ”を感じました。『大学ではこの先生に教わりたい』と直感し、調べてみると大友先生は国立音大で教えており、国立音大出身である浅利先生からのすすめもあって受験することを決めました」
本気でプロを目指すなら、自ら行動する積極性が必要

新潟から上京し、国立音大での“音楽漬け”の生活が始まった。一日中、音楽に囲まれての多忙な生活に、大変さよりも「幸せ!」を感じた丸田さん。楽器の垣根を越えた友人も増え、充実した大学生活だった。しかし、大学生活に慣れれば慣れるほど、自分の将来に疑問や不安を抱くようになる。これで本当にプロになれるのだろうか…。
「レッスンや友人との交流など “音大生の生活リズム”ともいうべきものがあって、それに身を任せておけば満足感もあり、気持ち良く毎日を過ごせます。でも次第に『この心地よさに甘えていていいのか?』と考えるようになり、本気でプロを目指すならこのリズムを壊す勇気も必要だと思ったんです」
丸田さんが始めたのは、学外の人との積極的な交流。現場で活躍中の先輩や他大学の知人を訪ねるなど、まずは自分の世界観を広げることが目的だった。
「大友先生の門下生が集う発表会はもちろん、フルート以外の楽器の人でも大学に先輩が来ていると聞くと図々しくも押しかけて挨拶するなど、とにかく多くの人に“フルートの丸田”を覚えてもらおうと思いました」
その積極的な姿勢は、やがて学内の活動にも反映される。学生有志による吹奏楽団を結成したり、木管五重奏のアンサンブルに参加したりするなど、自分から声をかけ、音楽活動の幅を広げる。心地よいリズムに身を任せるのではなく、自ら新しいリズムを作り出したのだ。
こうした活動を通じて、将来はソロではなく、オーケストラや吹奏楽など、大勢の楽器に囲まれたなかで演奏する自分の姿が見えてきた。そのため、大学卒業後、大学院に進学するが、在学中からオーディションにも積極的
にチャレンジし、そのうちにコンクールとは違うオーディション独特の雰囲気を楽しむゆとりも生まれてきた。
「普通はオーディションに落選すると落ち込むのでしょうが、僕はあの独特の緊張感のなかで演奏できたことは良い経験だったと前向きに考えていました。例えオーディションの結果はダメでも、今の自分に何が足りないのか考えるきっかけになると共に、その中でも自分の演奏に何かを感じてもらえた人がいるかもしれない。大学で“フルートの丸田”をアピールしていた頃と同じ思いでしたね」
そしてその思いが通じ、大学院在学中に「東京ニューシティ管弦楽団」に入団。その後、経験を積んだうえで、現在所属している「東京佼成ウインドオーケストラ」に2度目のオーディションで合格する。1度目のオーディションに落ちた後、何度かエキストラとして演奏する機会があり、そうした努力が報われた形での合格だった。
本当に“生きた音”だけが、多くの聴衆を感動させる

現在は、東京佼成ウインドオーケストラのフルート・ピッコロ奏者として楽団の公演やレコーディングを行うなど「プロ」として活躍する丸田さんは、「音楽は“生き物”」と、強調する。例えばオーケストラなどの演奏中には、誰かがアドリブを加えることがあり、それに対して次々に細かなアドリブで周囲の演奏者が応えることがある。つまり、同じ演目を演奏していても、毎回“音”は同じではないのだ。
「ある意味、ミスすれすれのせめぎ合いがあったりするのですが、そのギリギリの状態での演奏こそが、聴いている人たちに感動を与えるのだと思います。プロであれば、毎日無難に演奏することは簡単です。しかし、それでは本当の感動は生まれません。お互いに刺激し合いながら、その瞬間、瞬間に生まれる音こそが、プロが追求する音楽なんです」
東京佼成ウインドオーケストラでの活躍の他に、「風の五重奏団」メンバーとしての公演、ソロでのリサイタル、コンクールの審査員、個人レッスンや中学校・高校の吹奏楽部のトレーナー、そして小学校から高校まで子どもたちに音楽の楽しさを伝えるアウトリーチ活動にも積極的に参加している。マルチに活躍中の丸田さんに、ほとんど休日はない。それでも「毎日、音楽に関わる生活が楽しくてしょうがない」と話す。そんな“丸田悠太”という音楽家を形成しているのは、間違いなく大学時代の経験が大きい。
「国立音大は、プロはどうあるべきかなど、自分の音楽家としての基礎を築けた場所です。僕の根底にある音楽の土台はすべて国立音大で形づくられました。とくに大友太郎先生、大学院で師事した佐久間由美子先生には、感謝してもしきれません。プロでも通用する音楽の基礎を教えてくださったのが大友先生。そして佐久間先生には、表現やパフォーマンスの重要性を学びました」
「まだまだ自分自身がレベルアップしないといけない立場」と前置きしながらも、「機会があれば後進の指導に関わりたい」との夢を語る。
「僕も音大生時代に、プロの現場に憧れながらも、なかなかその実態が見えず、何もわからないままに不安感や焦燥感を抱いたりしました。音楽の世界を目指す若い世代に対し、自分自身が同じ状況だったころの経験を伝えることで、後輩の成長に貢献できるとうれしいですね」
最後に後輩へのメッセージとして、「常に自分に対してストイックでありながら、目標を持って前向きに、そして積極的に突き進めば道は開ける」との言葉をいただいた。実際に自らの力で夢を実現させてきた“先輩”だけに、その言葉の価値は大きい。